狩り(仮)

くくり罠にかかった鹿を保定(動きを封じること)して解体(さばいてお肉にすること)、美味しくいただく体験をしました。これまでの人生の中で感じたことのない感情が起こったので記しておきたいと思います。

愛媛県西予市野村の家に入居して5日目。くくり罠猟の名人のヒサシ師匠に誘われて罠の見回りに同行させてもらいました。ヒサシ師匠はまだ狩猟免許とって1年ちょっとなのに、自分で罠をつくって日々改良を加えてイノシシやシカなど年間50頭ペースでバンバン捕ってる凄い人。

しかも生捕り専門!(←ここがさらに凄いとこ!)罠にかかったら獲物はその場でトドメを刺してから運ぶのが通常のようですが、師匠は生捕りすることにこだわっています。ジビエ肉の加工場に持ち込んでもその日の処理能力上限に達していた場合断られることもあるそうですが、生捕りにしておいたら翌日に持ち込んでも買い取ってくれるのでせっかくの獲物が無駄にならないというメリットがあり、また自分で解体する場合も当然生捕りの方が直前まで生きているのでお肉の鮮度がよいそうです。

それにしても、生捕りですよ!!野生動物ですから必死で抵抗してきたら人間も無事で済まないこともあります。これまで最高記録はイノシシ102kg

とか・・・!

(ヒサシ師匠の凄さはまだまだ語り尽くせないんですが、またの機会に。話を進めます。)

さて、野村移住5日目の朝、罠に獲物がかかってないか見回り。野村の里からは5分もかからず罠をしかけるポイントになっていきます。細い曲がりくねる山道、軽トラを軽快に操りながらも、ヒサシ師匠の鋭い眼光は野生動物の痕跡を逃しません。「ここ通っとる」「足跡あるのぉ」見ると確かに、、ですが言われるまで全然僕には気付けない、わずかにささやかに生き物が残すサイン。ハンターの観察力の凄さたるや!まざまざと感じます。この日は獲物もかかっておらず、いくつか罠を新たにかけることに。

翌朝も見回りますが獲物なし。昼からヒサシ師匠が草刈り機を貸してくれて使い方を教えてくれて一緒に僕の家とヒサシ師匠の家の草刈りをして、夜は庭先でイノシシ肉と玉ねぎの串カツを揚げて楽しい慰労会(野村では飲み会をそう言います)

そして7日目の朝、寝ていたらヒサシ師匠からLINEが。「鹿がかかっとるらしい!」

「僕動けます!」と返事したら1分くらいでもう庭先に師匠の軽トラが!寝起きでそのまま服をきて飛び出しました。

現場に到着すると道沿いの斜面を5メートルほど降りたところに小さめの鹿が。近づく僕らから逃げようとしますが、しっかりと右後足にかかったくくり罠は外れません。

「では杉田さん、よろしく」

とヒサシ師匠は黒いガムテープを僕に手渡します。「目隠ししたらおとなしくなるけん」

えっ、俺がやるの!?

師匠の真っ直ぐな眼光にみつめられながら、こうなったらやるしかないので、恐る恐る鹿に近づきます。師匠いわく1歳くらいとのこと。そっと触れると暴れずおとなしく、まるで甘えるように擦り寄るような感じ。それでも目隠ししようと顔を押さえると暴れます。哀しげな声で鳴きます。はぐれた親鹿に助けを求めるように聞こえます。師匠に入った電話によると親鹿も最初は一緒にいたみたいでした。

なんとか目隠ししたら、前足どうしと後ろ足どうしを紐で縛り、前足の間にくくった後ろ足を通す。こうすると外れないそうです。

「では杉田さん上まで運んで、よろしく」

・・・なるほど、分かりました。ヒサシ師匠は弟子にやらせて学ばせるタイプの師でした。

やるしかないので足から出たワイヤーを持って斜面上りますが、20キロ足らずとはいえ生きている哺乳類をこんな感じで運んだこともないし、結構な急斜面なので鹿どころか自分も下手したら一緒に落ちそうになりながらも、なんとか上まで。師匠の軽トラに載せたらもう自分も息絶え絶えです。 

「自分らで捌くかジビエ肉加工所に持ち込むか・・・これだけ小まいと引き取ってくれんかもな・・・」と言いながら僕を見る師匠。

「だったら捌(さば)きましょう」考える間も無く口からそう出ていました。選択肢はないと思いました。それは自分が保定したこの命を無駄にはできないという責任感だったように思います。

いったん解散して夕方再集合。猟師の先輩ドイカツさんも合流して3人で解体所へ。

すでに日も陰る解体小屋の前で、鹿の縛を解きます。覚悟を決めたように、おとなしい鹿。ヒサシ師匠とドイカツさんが足をとって仰向けにします。胸のあたりの骨をさわって確かめて鎖骨の辺りから背骨と並行にナイフを入れて心臓付近の動脈を切断して血を抜くのが手順とドイカツさんよりレクチャーをうけます。師匠から渡されていたナイフが僕の手にありました。

やるしかない。これまでの人生、虫くらいなら叩いて命を奪ったことはあっても、哺乳類は経験もありません。見た目も可愛いし、朝逃げようともがき、鳴いていた鹿。いま最期のときを待つかのように、目の前で仰向けに寝かされています。やるしかない。。。。でも、やはり、すぐには刺せません。覚悟するのに少し時間がかかりました。出来るかぎり苦しまないよう何度も自分がナイフを刺すイメージを頭の中で練習して。腹の底から息を吐いて「命をいただきます」と手を合わす気持ちでナイフを持つ右手を左手で押すように

なるべくぶれないよう肩の力を抜いてまっすぐ差し込んだナイフを右手の握りで少しひねります。鹿は最期のひと鳴きのあとは静かに血を流して息絶えました。

師匠たちはさっそく頭を下にして血を出し、また寝かせて心臓付近をマッサージするようにして血を抜いていきます。

気づけばナイフを持つ手が震えていました。自分の体内の血が静かに沸騰して、ヤカンの蓋がカタカタ揺れるような、そんな震えでした。

そこからは作業台の上にのせて、皮をはぎ、内臓を出して、肉をとっていくのですが、もはやいつもいただいているお肉の延長という感じで、落ち着いて手を動かせました。僕は適宜簡単に説明をうけながら作業を手伝います。手慣れた師匠と先輩がかっこよかったなぁ。

2時間弱で作業を完了して、お肉をみんながよくバーベキューをするテラスの冷凍庫に運びました。テラスの主のヨシさんが近所の方と炭火で飲んでらしたのでヒサシ師匠がスペアリブのところを火の上に置いて帰られました。僕はヨシさんに勧められたビールと一緒にお肉をいただきました。まったく臭みなどない新鮮な鹿肉は本当に美味しかったです。

僕が今まで食べてきたお肉は全てこうした一連の作業の先にあったことを改めて思い知ることができました。前日に飲みながら話したヒサシ師匠の言葉が心に残っています。

「猪も鹿も魚も虫も全部同じ命。野菜も一緒、動けんし声も出せん分、植物は余計に大事にしたらんといけん。」

『狩猟』という生き物の命に直接触れる行為は、その痛みも覚悟も受け入れること。自分の身も危険な状況に置くことでもあり、全ての命がフラットであることを思い出させてくれます。僕がこれまでいただいてきたお肉は全てこうした『命と命の向き合い』の先にあったものであること。そしてそうした全ての命が育んでくれた自分の身体だからこそ、大切にしなきゃいけない。正直野村にきてまだ7日目でいろいろ引越しや炎天下の作業の疲れも溜まってきていたのですが、解体から帰ってきたとき元気になっている気がしました。

狩猟、面白いです。